- 防災
- 2025.12.04
2024年1月1日 令和6年能登半島地震 また胸が痛いんだ
僕はこんな歌であんな歌で
また胸が痛いんだ
君はロックを聴かない/あいみょん
株式会社ピースアップの宮田です。
能登半島地震からまもなく2年です。
故郷の石川県と能登半島に本格的な冬が来ます。
石川県と大好な祖母の暮らしていた能登のことを想いblogを書きました。
1995年1月17日。阪神・淡路大震災。
私は15歳。石川県に住んでいました。
中学校のテレビで見た光景に
胸がとても痛かったのを憶えています。
2011年3月11日。東日本大震災。
私は31歳。大阪府に住んでいました。
「みんなで一緒にこの学校を卒業することはできません」
先生の言葉に泣いている子どもたちをテレビで見て
胸がとても痛かったのを憶えています。
あんなに胸が痛かったのに忘れてしまう。
2024年1月1日。令和6年能登半島地震。
あんなに胸が痛かったのに忘れてしまった。
私自身、被災してはいません。
2000年に他界し祖母も被災してはいません。
忘れてしまっても仕方がないよって。
そうなのかもしれないけれど、
忘れてしまっても仕方ないという気持ちに
胸が少し痛くなりました。
応急仮設住宅等に入居された方は
震災のあった年の2024年11月で最大21,935人。
今年2025年11月時点では19,532人。
今も多くの方が応急仮設住宅等で暮らしています。
能登半島地震・奥能登豪雨で被害を受けた「住まい」の復旧・復興状況について
災害公営住宅の工事着手時期は
遅い地区だと2026年の夏に着手予定です。
完成予定ではなく着手予定です。
令和6年能登半島地震復旧・復興支援本部(第14回)議事次第
写真の指輪は石川県の指輪屋さんで
ひとつひとつ手作りされたポコポコリングです。
石川県のことを、能登のことを
いつも忘れずにいられたらと身につけています。
指輪を見ているとまた胸が痛くなるけれど
この気持をずっと忘れずにいたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
能登のことを思い出すきっかけになれば幸いです。
それではまたblogを書きます。

